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episode.01

1995
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HBJ成田氏からコラム執筆を依頼され、渋る気持ちを抑え“快諾”ならぬ“怪諾”。

 

──後悔先に立たず。

 

僕はふつーの高校を卒業して、なんとなく生まれ育った京都の芸術大学に入学。べつに芸術家に憧れていたわけではなく、ズバ抜けて絵がうまいわけでもない。ましてや才能なんてもちろんない。ただ両親2人とも美大出身。ある意味恵まれた環境だったのかもしれない。しかしバイクをイジる楽しさを知ってた僕は、大学をやめ東京へ飛び出し、勝手な人生を選んだのが二十歳のころ。BLUE HEARTSが解散、阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件が起こった1995年。小さな一歩を踏み出しバイク屋の門を叩いた忘れられない年……。

 

バイク屋として右も左もわからず、専門的な知識もない。拾われた川崎のバイク屋で月給10万4000円スタートの貧乏暇なし過酷な丁稚奉公、いわゆる修行時代。罵声を浴び、言葉でわからなかったら頭にスパナが飛んできた。三日に一度の銭湯は疲れを癒さず、シャンプーが頭の傷を刺激した。しかし平成の世に咲く昭和的バイク屋での生活は、二輪に囲まれた夢のような世界だった。

 

6年間の夢の生活に終止符を打ち、ほっ建て小屋を借りたのがヒデモーターサイクルの原点、通称 “ヒデモ小屋”。昼間は自由が丘のパチンコ屋でアルバイト。夕方6時からは一国一城の小さなお城で、気の合う仲間たちと深夜までバイクをイジってた。2年後には二子玉川の億ションが立ち並ぶプラウドタワーの上層階から気品あふれるブルジョア二子玉マダムが “川向こう”と呼ぶ今の場所, “川崎市高津区”へ移転。今年で8年目を迎えた。

 

上京から16年。今ではすっかりカスタムバイク屋さん。好きだからこだわり、こだわればこだわるほど首が絞まっていく。そんな因果な商売。だからこそ楽しんでいる。人生には3回チャンスが来ると言う。一度目は修行、二度目は開業、三度目は……見過ごしたのか!? いや挑戦すればチャンスなどいくらでもやってくる。

 

そんな僕とヒデモーターサイクルがなにを想い、感じ、そしてなにを考えてるのかをあるがままに伝えられればと思います。よろしくお願いします。

 

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