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episode.05

節目の一台
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1994年、この年はオレにとって試練の年となった。それまでのツケと言うか、様々な事が重なり人生的に少々(かなり!?)グロッキー気味だった。「自分らしくやれることからやろう……とにかくシンプルに……。人間付き合いも……」。人間不信とまでは言わないが、人付き合いが面倒になってた。そんな10月のある日、一本の電話が……。

 

「河内山さん、原宿のゴローさん知ってるでしょう。ゴローさんのナックルが壊れて、程度の良いヘッドがあったら前後譲ってくれない?」と池田伸からだった。「あるからいいよ、どうすればいい?」「じゃあゴローさん連れて行くからその時に……」。数日後、夕暮れ時にイケちゃんがゴローさんを連れて現れた。

 

方向性の違ってきた “パラダイスロード” から切り離し、ショップ名を “TASTE” という名にしての最初の出来事だった。ニコニコしてイケちゃんは「久しぶり河内山さん、ゴローさんネ」と軽く紹介されたゴローさんはパーツだらけの店内へ入るや否や目を見開き狭い店内をグルグル見渡し、やがてピョンピョン飛び跳ねて「スゴいスゴい! 全部作ってる。この壁、この扉、この……、僕もお店、全部作ったよ、今度見に来て!」。長身のゴローさんは、その風体とは裏腹に子供がはしゃぎ回ってる感じで思わず3人とも笑った。

 

少し落ち着いたゴローさんは、おもむろにジャケットを脱ぎ、オイルで汚れたコンクリートの床に広げ、ナニやら始めた。多少具合の悪そうな手で一生懸命革紐をほどき、オレに手渡してくれた物が “フェザー” だった。「アキラは僕と同じ感覚だから会えて嬉しいよ! だからこれ持ってて」「……」。こころに響き、言葉が無かった。池田伸に救われた。出会いを持って来てくれた。

 

それから少しづつではあるが、何かあるごとに “goro’s” のアイテムを手に入れ “乗り越えた証” として身に付けた。試練の94年は年末を迎え、来年はより自分らしく羽ばたきたく “イーグル” を買いにイルミネーション輝く原宿に向った。「ちょっと待ってて」とゴローさんは大きく深呼吸をしイーグルが見えなくなるほどガッチリ握りしめ自作の道具(けがき)一本で「シュパーッ、シュパーッ、うん!」。気合いを入れる度に「シュパーッ」を繰り返し、「これで目が入ったから大丈夫だよ!」。 より高く飛べるその手渡された “イーグル” は、確かな目線を感じるし、風の流れを思わせる目尻の線が数本刻まれていた。「アキラは大丈夫! 55年生きて来た僕が言うんだから……僕だっていろいろあったよ」と笑顔をひとつ。勇気をもらった。

 

後日、”勇気の証” として特別に作ってくれた物がある。それは、“光” を意味した “魂” の入った物。作り手であるオレからも何か渡したくなって、1939 年のナックルに付いていたビーハイブ・テールを酸素で真っ赤に焼き、TASTE脇の土に埋もれた錆びた鉄の無垢棒を掘り起こし、メディスンホイールを作りライトスタンドにして手渡した。「これがゴローさんの生まれた時の“光”だよ 」って。

 

いつか INDIAN をオレなりに仕上げるならばと暖めてたコンセプトに“バート・マンローの精神”を加えたのがTASTE の INDIAN-CHIEF。ハンドルバーの緩やかなラインはイーグル。全体を取り巻く柔らかくもシャープなシルエットは最初に渡された “フェザー”。アプローチのなかに、この想いを織り込みたかった。この節目の “INDIAN”を機会があればゴローさんにイケちゃんと見せに行こうかな! もう何年もゴローさんに会ってないもんな~。お互いにいい歳だし、生きてるうちに……(笑)。

 

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