episode.190 訣別/守 「はじめての海外取材となる2001年デイトナでのことだった」

はじめての海外取材となる
2001年デイトナでのことだった

1999年に開催された第2回クールブレイカーがパンヘッド完成のお披露目となった。リジッドフレームにスプリングフォークを装着したスタンダードなチョッパー。見せ場はキャンディレッドをベースにブラックのグラデーションで描かれたピーナッツタンクの複雑なフォークラインだ。

 

2000年秋に発行されたホットバイク50号の「ありがとう50thニッポン縦断プロジェクト/一期は夢よ、ただ走れ」ではこのパンヘッドで東京からフェリーに乗って北海道へ渡り、にっぽんの北の端っこ宗谷岬から東京までの総行程2800kmを走り抜いた。ホットバイク主催のミーティング「ラブ&ピース&ライド」が開催される長野県横手山山頂には何度も行ったし、通勤にもパンヘッドを使っていた。編集という仕事は相当ハードであったが、このパンヘッドとの蜜月の日々もあり、毎日が充実していた。

 

──はじめての海外取材となる2001年春のデイトナバイクウィークで大きな交通事故に遭った。

 

 

レンタルハーレーで移動中、ルート確認のため路肩に停車し、その後出発する際に後方確認が遅れてしまい後ろから来た乗用車に追突されバイクもろとも数十メートルふっ飛ばされた。フロリダ州はヘルメットロウがなくノーヘルだったためダイレクトに頭を強打し、ヘリコプターで病院に搬送され即手術。頭を打っているので事故前後の記憶はなく、目が覚めたら病院のベットの上という映画やドラマでよくあるシーンを身を持って体現することになった。「ここはどこ?」という使い古された例のアレである。

 

幸いにも大事には至らず数日後には帰国し、東京の病院で入院することになった。頭を強打しているだけに退院後は自宅療養というカタチを取っていたが復帰の目処は立たず、その年の秋には編集部を辞することに決めた。

 

──この事故も必然というのなら致し方ないが、事故からの生還に一生分の運を使い果たしたと思われるので、できることなら交通事故とは訣別したいものだ。

 

ここで一句。
「交通事故 ここでお別れ さあ進め!」

 

取材協力
ロナーセイジ
住所■茨城県小美玉市大笹470-12
電話■0299-48-3787
休日■火曜日


ホットバイクジャパン.com編集部

成田恒一 Kouichi Narita

京都生まれの京都育ち、生粋の京都人という妙なプライドがチャームポイント。HBJ編集部員になり13年目(途中ブランクあり)にしてHBJ.comを立ち上げる。東京に来て25年以上たつも、未だ京都弁が抜けない。趣味は物欲。趣味を超えてその物欲で生きていると言えなくもない、もはやライフワーク。ちなみに特技も物欲である。そして2005年、勢い余って67年式カマロを購入。目下のターゲットはD5。