EPISODE.258 未だ見ぬ世界/破

すべてがFLを操っているぼくの五感をスリリングに刺激する

──東京阿蘇1300km

未だ見ぬ世界/序」に続いて今回もHBJ43号(1999年7月発売)の巻頭企画、東京阿蘇1300kmの原稿を引用させていただきたい。

秘密の地下トンネルをマントル層に向って突き進んでるような絶望的な感覚から、距離を稼ぐにつれ少しづつ地上の光が見えはじめる。御殿場インターあたりではシートの違和感が薄れ、ハンドルの遠さもあまり気にならなくなってきた。どうやらハーレーは僕のお尻や腕の長さのことも少しは気にかけてくれていたようで、心に余裕が生まれると途端にいろいろなものが見えるようになってくる。天気は上々、少し暑いくらいだ。これまでのモノクロームの世界から、フルHDのカラフルな世界にダイブしような気分。頬をかすめる風がたまらなく心地いい。

ぼくは今、FLに乗っている。はじめてそう実感した。全身を使ってFLを操っている。王様に跨がり、ハイウェイを阿蘇に向っているんだ。

400キロにも及ばんとする巨体うえ、取り回しは小錦関に反復横跳びを強いるようなものでお世辞にも軽いとは言えないが、直進安定性においては文句の付けようがない。広大なアメリカ大陸を横断するために生まれたオートバイだから、当然と言えばそれまでだが、ぼくの住む武蔵野市が東京都から独立してしまうくらいの驚きがあったし、高速コーナーでの安定感は山手線に急行ができるくらい衝撃的だった。ツインカム88ユニットはすべての回転域において、あっけないくらい簡単にこの巨体を前方へと押しやってくれる。決してグイグイと力強くというわけではなく、スルスルといつの間にかという感じで、このまま永久にこのエンジンは壊れることがないのだろうとさえ思える不思議な安心感を感じるようになり、急激にFLとの距離が縮まったような気がした。さっきまでの不安なぼくを笑い飛ばしているもう一人のぼくがいる……。

東京を出発して約6時間、FLのせっかくの豪華装備を使いこなしていないことに気がついた。そう、オーディオだ。しかしラジオのチューンをこまめに合わせてみたものの、受信状況の悪さにうんざり。そこで大津のサービスエリアでカセットを購入した。もちろん経費で。お近づきになりたい芸能人リストのトップに君臨するhitomiのベストアルバムだ。旅のパートナーはやっぱり理想の女性に限る。恥ずかしそうに興味を示す、カメラマンのイソベさんに彼女の簡単なプロフィールの説明を済ませ、サービスエリアを後にした。

音楽の威力がこれほど大きいとは正直思わなかった。フェアリングに押しのけられ、ヘルメットをかすめていく風の音。風圧でデニムシャツが身体を心地よく打ち続ける音。前後16インチのタイヤが生み出すロードノイズ。それらの雑音に入り乱れてフェアリングの二つのスピーカーから耳に届く音楽。音響設備が整ったコンサートホールに勝るとも劣らない迫力が、FLが創り出すこの空間にはある。音楽を手に入れたここからの道のりはまったくの別物。緩みっぱなしの顔の筋繊維を1.5センチほど引き絞ってみてもうまくいかない。無駄な努力はやめにして先を急ごう。

いつしか世界はすっかり夜の闇に支配されてしまった。都市を離れた分だけ闇の純度は高くなり、その濃度を増す。生温かい出来立てのコーヒーゼリーのような闇の中で、無心にアクセルを絞り続けていると、FLで阿蘇を目指していることの現実味が急激に失われていく。右腕と右肩が少し重いものの、疲労感はほとんどない。それどころか身体中の細胞がどんどん覚醒していく。まるで手のひらで剥き出しの心臓が脈打つかのように、痛いくらい五感が冴える。今まで気にも止めていなかったアスファルトの色や、センターラインの形、路肩の幅、路面の継ぎ目を乗り越える時の音、微妙な衝撃。うっすらと立ちこめる霧の甘い匂いと、肌にまとわりつく風の湿気。すべてがFLを操っているぼくの五感をスリリングに刺激する。例えば風の変わる瞬間。風がひんやりと冷たくなれば、そのすぐ先には川や海、つまり水がある。また風には然るべき味がある。水の味、潮の味、緑の味、都市の味、田舎の味……。

しかし800キロほど進み広島に入ったあたりから唐突に握力がなくなり、背中の筋肉が強ばってきた。首筋が固まり視力が落ちてきたのか、網膜上に写る映像を脳がうまく処理できない。標識の文字がスワヒリ語かなにかに見える。意識の糸がどんどん細くなっていくのを感じながらスロットルを絞り続ける。この旅をうらやむ誰かがワラ人形に釘でも打ち付けているのだろうか。ほどなくその呪いが眠気に変わったころ、前方を行く伴走車のウインカーがサービスエリアに入る合図をよこしてきた。

どうにかサービスエリアに滑り込むが、停車時に足がうまく出せない。身体の命令系統が壊滅的にズタズタで、どうすれば足をうまく動かせるかが思い出せない。なんとか記憶をたどり足を動かすスイッチを探り、借り物のような足でどうにか着地成功。ひと息ついて熱いコーヒーを胃袋に流し込み軽く体操でもしてなんとか呪いを解かなければ……。

──ハーレーは僕にいろいろなことを教えてくれる。

ここで一句。
「言うなれば 禅のような 瞑想ラン」
少し字足らず&少し字余り。


ホットバイクジャパン.com編集部

成田恒一 Kouichi Narita

京都生まれの京都育ち、生粋の京都人という妙なプライドがチャームポイント。HBJ編集部員になり13年目(途中ブランクあり)にしてHBJ.comを立ち上げる。東京に来て25年以上たつも、未だ京都弁が抜けない。趣味は物欲。趣味を超えてその物欲で生きていると言えなくもない、もはやライフワーク。ちなみに特技も物欲である。そして2005年、勢い余って67年式カマロを購入。目下のターゲットはD5。